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【コラム】働きたくないイタチと経済成長

情報経済事情その他

吉野 太喜

  • 職位:
  • 特任研究員
  • 研究領域:
  • 応用ミクロ経済学、法と経済学、産業組織論

2019年11月15日
機械振興協会経済研究所 特任研究員 吉野 太喜


 もともと経済学が専門で、いまプログラミングで生計を立てている。プログラマー業をはじめたきっかけはお金がなかったからだけれども、やってみるとなかなか性にあっている。犬が野原に出ると楽しそうに駆け出すのと同じように、自分にとってコードを書くことは単純に楽しい。
 
 それに加えて、プログラマーたちの文化が好きである。プログラミング言語 Perl の開発者であるラリー・ウォールは「プログラマーの三大美徳」を唱えた。良いプログラマーが備えるべき徳性は、怠惰(laziness)、短気(impatience)、傲慢(hubris)であるという。 クリックひとつするのもめんどくさいという心、クリック後にちょっとでもくるくるマークが出て画面が止まったらイラっとする心、他人のコメントを信用しない心(リアルのコメントも、コードのコメントも)。キーボードやマウスを押さなければいけない回数を少しずつ減らし、アルゴリズムを少しずつ改善し、他の誰も見たことのないものを半世紀にわたって作り出してきたのは、 働きたくないイタチたるプログラマーたちだった。

川添愛『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』朝日出版社<br>(出所)同上 
川添愛『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』朝日出版社
(出所)同上                                     


 たとえばいまのネットでは、新しいサービスを使い始めるとき、だいたいメールアドレスとパスワードだけ入力すればいい。最近はそれすら面倒なので、ブラウザがパスワードを自動的に生成してそれを覚えてくれていたり、あるいは Facebook や Google のアカウントでログインできたりもする。昔はメールアドレスの他に「ユーザID」の文字列を自分で決めて入力する必要があった。その他にも「秘密の質問」や電話番号など、何に使うのかよくわからないものをたくさん入力させられていた。こうした情報の収集は、当時はセキュリティを高めると考えられていたのだが、その後これらはユーザの離脱率を上げるばかりか、セキュリティをむしろ下げることがわかって、あまり行われなくなった。
 
 こうして世界中の人たちがポチポチとボタンを押す回数と時間が節約された背景には、ブラウザの性能向上や認証技術の発展など技術面での改善はもちろんあるのだが、それとは別に、論理的な、あるいは人間工学的な考察がある。人間のダメさや不完全さを肯定したうえで、その存在は自然なものであると考えて、システムとして解決に向かうという文化を、世界のプログラマーたちは共有しており、それが好きだ。
 
 エンジニアと称して日本の企業や官庁に出かけて、その業務を垣間見ることがある。大きな企業ほど、目を覆いたくなるありさまだ。電子データを一度紙にして、それをもう一度入力しなおしているなど、冗談のようなことが本当にある。システム側に少しだけ機能を追加すればすむことを、膨大な労力とお金を投じて根性でまかなっている。そうなっている原因は、システムを外注していて細かい改修ができなくなっているからであったり、情報システム部が忙殺されていて対応できないからであったり、担当者が過労で退職したあと誰も直せないからであったり。もっと根本的な原因は、現場に余裕がなさすぎること。現場にもう少し余裕があれば、その余裕をシステムの改善にあてることで、業務が整理されて効率的になり、さらに余裕ができる。現状はその反対だ。この話は十数年前に先人から伺ったものだが、今も構造は変わっていないどころか、ますます余裕がなくなっていると感じる。
 
 現代において、IT、情報技術、すなわち、情報の効率的な扱いは、業務の効率的なあり方そのものである。それなのに、経営層に近い人ほど、情報技術は道具のひとつという認識で斜に構えていたりする。自分たちはよくわからないけど、お金は少しなら出すからうまい結果だけほしいというケースも目立つ。でもそれでは、決してうまくいかない。
 
 『人生がときめく片づけの魔法』がベストセラーになったあと、米国で Netflix のスターになって片付けブームを巻き起こし、いまの日本でいう「断捨離する」を米国では「KonMari する」というとかいわないとかいわれるまでの存在になった片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんは私の憧れの人だが、彼女の仕事と自分のしている小さな労働には共通する部分があるかもしれないと思うときがある。
 
 会社にある「ときめかない」業務。それをITで片付けることもあれば、そもそも不要なので丸ごと捨てることもある。でも、片付けを業者に頼む人の家は、結局またゴミ屋敷になるのは目に見えている。煩雑になってしまった業務を整理するには、業務の本質を見直す以外にない。それは業務そのもの、つまり会社の中にいる人の仕事であって、なぜそれを日雇いのエンジニアができると思うのか意味がわからない。
 
 日雇いといえば、人間は取り替えがきくものだ、という発想が広がっているように思われる。「属人化」を防ぐといって、業務を定型化してマニュアル化して、現場に来たばかりの派遣社員でもできるようにしたいと。でも結局のところ、そんなことはできない。経済学の教えるところによると、誰でもできることには超過利潤は生まれない。それでもやっていけるのは、既得権のあるところだけだ。そして既得権をいくら国内で守ろうとしても、世界からじわじわと奪われてゆく。また、人間が取替可能な業務では、労働への報酬は低くなる。レントが生じない業務には、人は当然コミットしないから、イノベーションも生まれない。人間を取替可能な部品にすることで成長できるのは、追いつけ追い越せの発展途上国型の経済だけであって、新しいことをするしか成長の余地のない先進国型の経済ではうまくいかない。労働が機械によって代替されつつある現代では特にそうだ。

 平成の30年間に、日本全体の GDP は1.6倍になった。ワインはおいしくなったし、トイレはきれいになった。生活水準は確実に向上しており、それはとても喜ばしいことだ。いっぽうで、世界全体の GDP はこの間に4.0倍になった。中国は26倍、インドは8倍。先進国の伸び率が平均よりも低くなるのはやむを得ないが、それでも米国は3.5倍、ドイツ3.0倍、イギリス2.6倍、フランス2.5倍。日本はデータのある139カ国中134位。ブルガリア(1.3倍)、イラン(1.1倍)、内戦に苦しんだ中央アフリカやリビアやコンゴ民主共和国と並んで、この30年間世界で最も発展しなかった国のひとつである。現在の日本の GDP は約550兆円だが、もし平成の間に世界平均のペースで日本経済が成長していたならば、国全体の GDP は1,370兆円、ひとりあたり平均給与は1,000万円を軽く上回っていたことになる。

名目GDP増加率の国際比較<BR>
(出所)吉野太喜『平成の通信簿』文春新書, p.31
名目GDP増加率の国際比較
(出所)吉野太喜『平成の通信簿』文春新書, p.31

 
   
 この30年間、世界全体はものすごく発展した。絶対的貧困が減り、生活水準が大きく向上した。それに対し、日本の相対的な経済的地位は低下し、今後もそれは続く。いわゆる大国でいられないことまでは確定している。ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた時代を知っている人たちは、このことを十分に意識していないと、つい認識を誤ってしまう。

 低迷の原因は少子高齢化ではない(過去30年間ではまだ人口減少の影響はない)。単に労働生産性が低いからで、それは、大きくいうなら、発展途上国型の精神構造のまま、先進国型の経済成長を目指したためである。発展途上国の日本が先進国に追いつくには、言われたことをきいて、道具としてよく働く人間を作ればよかった。しかし先進国はそれではうまくいかない。先進国が成長をするには、新しいことをするしかない。いやなことを我慢していては、人間の効用が増えない。すなわち、経済は成長しない。

 怠惰、短気、傲慢。創造の源泉であるこれらの才能は、案外あっさりと抑圧されてしまう。めんどうなことをめんどうだと思いつづけるにはエネルギーが要るし、それを表明するには環境への信頼が要る。めんどうな宿題をがんばってやりとげることがよしとされているようでは、怠惰の徳が身につかない。そのうちに、めんどうだと思う感覚自体が麻痺してしまう。組織の中で無駄な作業を年中させられていても、させていても、平気な人間ができあがる。命令に服従するアイヒマンを作ることは、思想の問題もあるけれどそれ以前に、先進国では非効率を生むことになる。創造力、それとほぼ同義である多様性を守ることは、ポリコレのためのタテマエではなく、先進国では経済成長のためにも本質的に必要なことである。


【了】

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